崇敬会 奉賛会
桑名宗社 崇敬会
人を愛し、地域を愛する - ユネスコ無形文化遺産の石取祭を守る若き宮司が、100年後に残したい神社とは
三重県 桑名市
事業内容:社殿改修・境内整備
「この神社とお祭りを誰よりも愛している、その自信がある」
若い宮司は静かにそう言いました。
地域を愛し、ユネスコ無形文化遺産の祭りを守る若き宮司のお話し。
三重県桑名市。
蛤料理で有名なこの地は、かつては交通の要所として大いに栄え、その名残はそこかしこにある著名な料亭の門構えにもうかがえる。
名古屋駅から急行で20分、桑名駅から20分ほど歩いた場所に桑名宗社は鎮座している。
東に流れる揖斐川沿い、七里の渡しに設置された伊勢神宮「伊勢国一の鳥居」は、式年遷宮で譲り受けた宇治橋の鳥居が移築されたものだ。
桑名宗社の名は桑名神社と中臣神社という2つの神社をあわせた総称で、奈良春日大社から春日四柱神を勧請合祀してからは地域の人から「春日さん」と呼ばれ親しまれている。
宮司になって6年目を迎える不破義人さんを訪ねた。
不破さんは昭和62年生まれ。國學院大学を卒業後、同大學の大学院へ進み、大学院1年目の終わりから奉職活動を始め、2年目からは大学院に籍を置きつつ岐阜護国神社で修行。
大学院修了後、25歳のときに父親が宮司を務めていた桑名宗社に奉職し、26歳で宮司を拝命する。
「桑名に帰ってきて父の手伝いをしとったんですが、僕が帰ってきてすぐに父が体調を崩して入院してしまいまして、そこからはもう半年間無給で手伝いをしていましたね」
やはり宮司家に生まれた者として、生家の神社に奉職するというのは子供の頃から意識していたのですか?
「実は親は宮司を継ぐのに反対でして、安定した職業についてくれって言われましたもので、一応、僕も國學院に進みましたけど、最初は公務員がいいなとか思って教員の資格を取得したりしていました」
でも最終的に神職の道を選んで宮司家を継いだ。それはどうして?
「この仕事、一歩入っちゃうと楽しくなっちゃうんですよね」
「小さい頃からこの神社とお祭りが大好きなんで」
「もう誰にもたぶん負けないと思ってるぐらい好きなんで」
不破さんの笑顔が弾けた。
この人に無粋な質問は必要なかった。
不破さんは本当に桑名宗社、春日さんを愛しているのが感じられた。
「仕事は好きですけど、正直キツいですね」
「毎日6時半に来て朝拝を終えたらすぐに境内の清掃、年間の休みが4日、でもその内2日は出張の仕事をしていましたから、まずお休みはないですよね」
しかし、26歳の若さで1900年の歴史を刻む神社の宮司を引き継ぐというのは、想像できないくらい大変だったのではないだろうか。
アドバイスを仰ぐはずの先代宮司も病床にあって、不破さんはたった一人で桑名総鎮守の宮司としてスタートを切らざるを得なかった。
スタートは順調でしたか?
「順調かどうかはわかりませんが、説得力がなかったですね、当時の僕の言葉には」
「宮司の立場として、地域の人にこうしてくださいああしてくださいと、言ってたんですけど、どういう神社にしたいんだって地域の人から言われた時に、答えれなかったんですよ」
「そのとき僕は答えられないもんだからすごい落ち込んで。。。」
このとき不破さんはビジョンを持つことの大切さに気づいたという。
そして宮司として生きていく決意をしたのだ。
「こんな若輩が宮司になって、地域の人たちに助けてもらって、僕はもう何があっても絶対に100%ここで頑張ろうと、生涯かけてどうにかしたいと思いました」
「地域と一緒にやってかないと神社はダメなんです。僕は本当に役員さんに恵まれていますし本当に良い役員さんがついてくれて、本当に一生かけてその人たちのために恩返ししていかないといけないと思っています」
物静かで丁寧な語り口の中にも強い芯を持った不破さんの言葉。
地域とともに神社を支える、その結集の最たるものがお祭りだろう。桑名宗社といえば石取祭のことを聞かない訳にはいかない。
石取祭
総勢43台の祭車が鉦や太鼓を打ち鳴らし、「日本一やかましい祭り」と言われる石取祭。「国指定重要無形民俗文化財」に指定され、2016年にはユネスコ無形文化遺産にも登録された。
26歳で桑名宗社の宮司となり、400年続く石取祭の指揮を取り、神事を斎行するプレッシャー。
ユネスコ無形文化遺産に登録され、地域の観光の要ともなった石取祭。一神社の神事として守り続けるのは苦労があるのではないかと感じた。
神事である祭りが観光化していく事案は各地で起こっている。そのあたりについて不破さんに聞いてみた。
「お祭りを神社だけで抱えるっていうのはあまり良くないのかなと思ってます」
「行政と民間と神社が三位一体でガチッと協力し合うのが一番理想の形かなと思ってますし、その先頭を引っ張るのが神社であるべきだと考えています」
心配は杞憂に過ぎなかった。不破さんは400年続く石取祭を続けていくため、現代の事情に合わせて柔軟に対応していた。
現在も祭礼は春日神社によって斎行されているが、桑名石取祭保存会のサポートがあったからこそ、現在まで継承してこられたと不破さんは言う。
「フェスティバルとして続けるのか、ご神事として継承していくのか、という選択を迫られた時、みなさんが御神事としての石取祭を守っていくという方向に舵を切ってくださったので、本当に感謝しています」
石取祭はフェスティバルではなく御神事だが、御神事というと萎縮してしまう人も少なくない。
石取祭が大好きだという地域の気持ちを大切にするため、不破さんはいつも参加者にこう伝えているという。
『神様と一緒に楽しい祭をしましょう』
「参加いただく方の奥底にそういう意識を伝えるのが僕の大切な仕事だと思っています」
『御神事を守る=プライド・ブランド』
『祭礼を楽しむ=継承・繁栄』
「難しいことを言ってる感じですが、私は単純に春日神社と石取祭が大好きで、毎年参加したくてウズウズしているだけなんですよ」
やはり、不破さんはこの神社とお祭りが大好きなようだ。
一方、祭りの観光化は費用負担増を招いているのも事実だ。祭りを守っていくのにも相当な苦労があるに違いない。
「自治会の方々が一生懸命にお金を集めて回ってくださって、企業を回って頭を下げて協賛金をお願いして、皆さんが協力して汗をかいて走り回ってくださっています」
「観光化したことでゴミも増えて、ゴミを収集するパッカー車の要請、仮設トイレ設置、警備員の配置、それだけで数百万円かかってしまう」
「最終的に赤字が出てしまうくらいです」
資金難によって行事の縮小や中止を余儀なくされる事態が全国的に起き始めている。もちろん神社の負担も少なくない。少子高齢化の未来、不破さんはどう思っているのだろうか。
「お金が儲からないからやらない、というものではないんです、お祭りは御神事ですから、お祭りは絶対に絶やしたらいけない、続けてこそのお祭りなんです」
それまで柔和だった不破さんの表情が一瞬厳しくなる。
お祭りに対する不破さんの強い思いが地域に人にも伝わり、手を取り合って石取祭をつないでいく原動力になっている。石取祭を愛する気持ちは皆同じなのだ。
石取祭のような大きなお祭りを先導し、毎日6時半には神社に詰め、朝拝を終えて境内の清掃、ご祈祷、社務所での仕事を全部一人でこなし、付き合いの酒席も多い。
しかも、休めるのは1年で2日だけ。その2日間の休日でさえも勉強のために神社巡りに費やす。
人生の時間の全てを神社のために使う。並大抵の精神力では務まらない。不破さん自身も体が持たないのではないかと思うことも少なくないという。
そんなとき不破さんはある言葉を思い出す。
岐阜護國神社での修行中に知り合った、親子ほど歳の離れた宮大工からかけられた言葉だ。
『人間、正しいことをすると嫌われるんや。阿修羅というのは正しいことしかせんのや。だけど悪い神様とかよく言われる。正しいことやと思っても攻撃的になったらいかん』
『大事なのは忍辱(にんにく)なんや、苦難を耐えてしのぶことや、情け深くどんな苦難も耐えてしのぶんや』
人の言う正しさはそれぞれに違う。自分の考えが正しいのか、迷うこともあるかもしれない。
神社はそれ単体だけでは機能しない。
日々の積み重ねが信頼関係を築く唯一の方法だ。
桑名宗社の宮司としての日々の仕事の中に不破さんは何を見出しているのだろうか。
「見えないものに対して何かするっていうのはすごく大変なんですけども、見えないものに対して何かやるっていうのが一番大切で」
「毎日毎日神様にこう(ご奉仕)やってると、神社がどんどん良くなってくるんですよね。日に日にそんな気がして、ちゃんと毎年結果としても出てくる」
目に見えないことを大切にするのはとても難しい。
「これって本当にありがたいことで、これは神様のご神徳だなって思うんですよねやっぱり。だから真摯に神社っていうのを大切に思っていただけたらありがたいと思っています」
途切れることなくちらほらと参拝客が来る。近所に住む石取祭の役員がやってきて、拝礼すると何も言わず境内の掃除をし始め、不破さんを見つけて声をかけ、また黙々と境内を掃除する。
ちょうど桜の咲き始めの頃、ベビーカーを押した家族連れが写真に収まろうと肩を寄せ合っている。御朱印を求めるご婦人が社務所のベルを鳴らす。
宮司になって5年。
地域の人達に認められ始めているのかもしれない。
取材中、ご祈祷の斎行があるというので立ち会わせてもらうことにした。
所作の後、静寂の中で祝詞の奏上が始まった瞬間、驚いた。
一般的に祝詞の奏上は歌うようにと言われるが、不破さんの祝詞は低く太い声で唸るように発せられる。
一節ごとに力強く止まり、太鼓を打つような腹に響く独特の奏上だ。他の神社でこんな奏法を聴いたことが無い。
しかしどこかで聴いたことのあるような。
そうだ、石取祭で打ち鳴らされる太鼓の音だ。
「父の祝詞はこんなもんじゃなかった、もっと低く太く、凄みがあったんですよ」
祝詞を通じて父親の思い出を語る不破さんはとても優しい表情をしている。
なるほど、これは1900年に渡る神社の歴史をつなぐと同時に、父と子の2代にわたる物語でもあるのか。
父親のことを語るときの不破さんは、初めて見せる31歳の青年の顔だった。
ご祈祷の後、神札授与のために不破さんは袴姿に変わり社務所に走る。
そんなに急がなくてもいいのにと参拝者が声をかける。
ここでは宮司と参拝者の距離が近い。
ご祈祷を受けた家族連れも顔見知りだ。
「春日さんて言ってもらいたいですね、昔の人が言うみたいに」
「この神社は昔から桑名の総鎮守と言われていますだから『桑名って言ったら春日さんだ』っていうふうになりたいですね」
「春日神社とか桑名宗社って言うとちょっと距離がある」
「『さん』付けで呼ばれるのが一番地域に愛された神社じゃないかなと思うんですよね」
どちらかと言うと自分は頭が固いほうだと不破さんは言う。
守っていく仕事というのは保守的でないと務まらない。
しかし不破さんには飄々としたところを感じる。真面目なだけではない、足元を固めながらも視線の先は遠くを見ているような。
そしてその予感は当たっていた。
それが正月の松の内の期間だけ行うショッピングセンターへの分社だ。
写真提供:小笠原昭彦様
「最初はジャズドリーム長島のアウトレットパークでやりました。その後はご依頼をいただいたイオンモール桑名で3年続いています」
「正式なお社を軽トラックで運んできて、祓いをしてきちんと神さまを降ろしてご参拝いただけるようにしました」
ショッピングセンターに神社を分社する。大胆な発想だ。
「ちゃんと手を合わせる人がいるっていうのは、そこに神様がおるんやと思って手を合わせてるわけですから、それが一人でもおるんやったらええんやと思ってます」
「新しく開発された土地に引っ越して行った年配の人とかは、神社が来てくれるなら助かると言ってくれる人もおられますし」
若い人よりも、ご高齢の方に重宝されたという。
なんでもやってみるものである。
御神事としての石取祭を守り、桑名宗社の宮司としての毎日のお務めを全うし、新たな試みにも果敢に挑戦していく。
強靭な心を持ち、敏感に変容するしなやかさをも併せ持つ。
この人はバランスの人なのだ。
不破さんは独りよがりではない「正しさ」を導き出そうとしている。
協調し、時代に合った正しさを見極め、ビジョンを掲げ、そして地域の人達と共有する。
「ちゃんとしたビジョンを持っていれば、どういうふうに進めばいいのか、どこへ進まなきゃいけないのか自然と見えてくると思うんです」
「ビジョンが明確になった瞬間、時間がないことに気づいたんですよね。実はこの先30年間ずっとタイムスケジュールが詰まってるんです」
桑名に帰ってきた時、25歳の不破さんは地域の人達にビジョンを示せず悔しい思いをした。しかし30歳になったとき、人生をかけて取り組む30年の計画を立てたという。
不破さんが考える桑名宗社の30年ビジョンとはどのようなものなのだろうか。
「時代に合わせた新しい神社をつくっていこうと考えています」
戦後から高度経済成長期、全国の神社で神前結婚式や披露宴が行える施設の拡充が図られた。桑名宗社も同様に施設を持っている。しかし、不破さんは氏子や崇敬者にもっと寄り添うためのコンパクトな神社を目指しているという。
「豪華なものを目いっぱい建てて壮大さを出すのではなく、『何となく落ち着く』が大事なのです。五感で感じ、境内に入ったら深呼吸をしてしまう、ゆっくりと歩いてしまう、そんな神社にしていきたいです」
「気持ち良い空間には人が集まります。それがサロンに発展します。いろんな人といろんな話ができることは財産だと思っています」
不破さんは何度も「空間」という言葉を使った。
諸祭事や社務などの細かなことに目が行きがちだが、宮司の仕事はトータルで空間の演出だということに気付かされた気がする。
「来たらいつも変わってるねって言う、ちょっとここ綺麗になったねとか、来る度にどんどん良くなる神社、人はそういうところに行きたくなりますよね」
「赤色を来年、緑色を5年後」
「図面を作ったんですよ10年先までは計画立てたんです。短期・中期・長期計画で三期に分けて、自分の出来る年代でどこまでの目標にするか」
「僕が死んじゃったとしても次の人が計画を持って神社運営ができるかって、僕だけで終わっちゃだめなんで、そこまで残してちゃんと終わらせなきゃいけないので」
地域の方々や崇敬者と話し合いを進め少しずつ境内整備を続け、自分の代が終わるころには境内の大多数が終わっていれば本望だと不破さんは言う。
岐阜で知り合った宮大工が最高の技術をここに。
「でも、全部で30年計画なので本殿改修は宮大工さんの息子さんの代やなあ」
ここにも親子2代で取り組む物語があるのかもしれない。
桑名宗社(春日神社)宮司不破義人さんから皆様へのメッセージ。
「将来100年経った時ぐらいに、良い働きしたなって思われるよう力を尽くします。こいつのせいでお祭りが落ちたじゃなくて、こいつのおかげでお祭りが、ご神事がまだ残ってるんだって言われるような仕事に努めます。100年後の神社に恥ずかしくないことをやりたいと思っています。ぜひとも崇敬会へのご入会並びに事業へのご奉賛と皆様のお力添えを賜りますようお願いいたします」
取材中、不破さんはこんな話をしてくれた。
ご祈祷の際の講話で話していた内容だ。
ある本に書かれていた「神」という字の由来は「上」ではなく「鑑」だという話。
鏡は神様みたいなもので向き合う人の心を映す。
神前の祭壇にも鏡が置かれている。
やろうとしていることが正しいと思っている人は鏡に目が合わせられるが、自信がなく後ろめたい気持ちがある人は鏡を直視できない。
一生懸命に頑張る人に神様は力を貸してくれる。
しかし、そこに甘えがあると神様は力を貸してはくれない。
正しさとは何かを追い求める若き宮司の心の声かもしれない。
桑名宗社(春日神社)崇敬会への入会、改修事業へのご奉賛、若き宮司に力をお貸しください。
最後に、不破さんはまだ独身。ファンレターは弊会でも受け付けています。
(2018/3/27 取材 秀島康右)
募集内容
各会員特典は
桑名宗社(春日神社)崇敬会
個人会員・・・年会費 一口3,000円
法人会員・・・年会費 一口10,000円
桑名宗社(春日神社)事業奉賛会
奉賛金:一口10,000円から
事業内容:境内整備事業
期間:2019年5月〜2028年12月(期間内計3期)
事業規模:6千万円
第一期工事 平成31年5月
手水舎新築工事、楼門西側 御神像新調、南門 車祓所新築工事、北門 楠 伐根工事
第二期工事 平成37年5月
参道石畳張替工事、拝殿前石畳張替工事、授与所前石畳張替工事、西側社務所 取り壊し工事、旧船津屋応接室 耐震工事
第三期工事 平成40年4月
母山神社 本殿拝殿新築工事、母山神社 参道増設工事