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それは遠く離れた人と神社をつなげる仕組み - 時代に翻弄された聚長が取り組む、戸隠講の再興への道 戸隠神社 講社会 0円 長野県 長野市 戸隠

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講社 事業協賛会

戸隠神社 講社会

それは遠く離れた人と神社をつなげる仕組み - 時代に翻弄された聚長が取り組む、戸隠講の再興への道

長野県 長野市 戸隠
事業内容:神殿改修・宿坊改修・参道整備

戸隠神社宝光社

みなさんは戸隠講を知っていますか?

長野駅からバスで1時間、雪深い戸隠山の麓に鎮座する戸隠神社。

奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなり、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻んでいます。

昔からここには遠く離れた人と神社を繋ぐ仕組みがありました。

なぜなら、戸隠神社には氏子という制度が無いからです。

それはこの神社の成り立ちに関係しています。

平安時代、戸隠は修験道の名道場として都にまで知られていました。隆盛期、神仏習合の寺院であった戸隠神社には、一般的な氏子という制度がなかったのです。

その代わりに戸隠神社の信仰を支えてきたのが講社という仕組み。

遠く離れた地で布教活動を行い、信仰する者に神札を頒布し、神楽奉納の手配をし、代参者の食事と寝床の世話をする。

講社は人と神社をつなぐ仲取り持ち。そのすべてを取り持つのが聚長のお仕事。

特に、戸隠神社の講社のことは戸隠講と呼ばれています。

今回は、68代続く戸隠神社宝光社の聚長である諏訪さんを訪ねました。

迎えてくださった諏訪さんは、丁度宿坊の除雪の最中。

ご自分で除雪までされるのですか?

「ここでは何でも自分でやらないといけないんですよ」

戸隠神社を目指して麓から登ってくると最初に出会うのが宝光社。

雪深い戸隠山の麓に鎮座し、天暦3年(949年)に奥社の相殿として創建された宝光社。康平3年(1058年)現在地に鎮座し、その優美な姿を残しています。

宝光社に続く石段の上り口にあるのが諏訪さんの宿坊「お宿諏訪」。江戸時代の寺格昇進で延命院となり、明治の神仏分離以降は「諏訪」と名乗り宿坊を営んでいます。

諏訪さんは昭和48年生まれ、國學院大學を卒業後、都内の神社に奉職し、同じ年に先代の聚長であるお父さまが亡くなったのを機に戸隠へと戻りました。

子供の頃から聚長を継ごうと思っていたのですか?

「はい、聚長家に生まれたので、私の中では漠然と父の仕事を継ぐのだと思っていました。でも父は継がなくていいって言っていたんですけどね」

お父様は継がなくていいと?それはどうして?

「はい、今でこそ戸隠山は賑わっていますが、昔は本当に寂れていて」

当時は戸隠神社の参拝者も少なく、宿坊の経営も大変だったようです。

そんな状況なのに、どうして聚長を引き継いだのでしょうか。

「先祖から繋がる聚長家を守って次の世代に引き継いでいく、宿坊の経営も建て直していく、それが私の仕事だと思いました」

「投げ出すような生き方ではダメだと思ったんです」

漠然と考えていた神職という仕事。学生時代に住み込みで修行した神社で体験した神事を通して、自分のやるべき仕事は神職だとはっきりイメージできたと諏訪さんは言います。

戸隠に帰ってきてからはいかがでしたか?

「聚長としてより、宿坊の経営者として大変でした。先代からの莫大な負債があったので、これはどうにかしないといけないと必死で働きました」

本当は戸隠神社に奉職して安定した収入が欲しかったという諏訪さん。しかし戸隠神社も今のように参拝客が多くなかったので奉職が叶わず、そのため自分でできることから頑張ることに。

講社や聚長といってもあまり馴染みがないのですが、聚長とはどのようなお仕事をされているのでしょうか?

「我々戸隠神社の聚長は、全国にいる講員(崇敬者)への神札の頒布、各地区の代表者が参拝する『代参』者のお食事や宿泊のお世話、御神楽を奉納される場合は手配して宝光社や中社まで同行します」

「あと、戸隠神社の運営や神事にも参加します。ご希望があれば宿坊の神殿でご祈祷なども行いますよ。私たち聚長はみんな神職(神主さん)の資格を持っているので」

すごい。ご祈祷から料理まで一人で何役もこなす諏訪さん。驚きです。

割烹着に着替え、厨房に立つ諏訪さん

袴姿から割烹着に着替えて代参の宿泊客のために食事の準備をする諏訪さん。こちらもなかなかキマってます。

独学で始めた料理も、工夫を重ねた繊細な味付けに代参客からも好評。今では諏訪さんの味を求めて全国から宿泊客が訪れます。

取材を兼ねて一泊したのですが、卓に並んだ料理に目を見張りました。

料理の数々

長野の地野菜、川魚、名物特産がこれでもかと運ばれてくるお料理は、ほとんど諏訪さんお一人で作られています。名物の戸隠そばも諏訪さんが手で打っています。料亭顔負けです。

「まだまだです、まだまだ勉強しないと」

もっとお客さんに喜んでいただきたいと、今でも月に一度は料亭の調理場に通って修行しているそうです。すごい向上心です。

神殿での諏訪さん

聚長の仕事として特殊なものの一つに、一般的に神社では行わない布教活動があります。水源のある戸隠には九頭龍信仰があり、かつては米どころの新潟まで布教活動に赴いたそうです。

聚長というのは神職でありながら宿坊の経営者でもあり、そして布教活動も行うという特殊なポジションです。

「ここでは何でも自分でやらないといけないんですよ」

雪かきも?

「そうですね(笑)雪かきも大切な仕事です」

戸隠に帰ってきて23年、宿坊の経営も軌道に乗りつつあります。

しかしここまでの道のりは順風満帆ではなかったといいます。

奥様の香織さん

「はい、まったく逆風からのスタートでした」

宿坊経営の立て直しに夫婦二人三脚で歩んできた奥様の香織さん。

結婚後、香織さんの獅子奮迅のサポートが始まります。

「最初は、宿泊者以外の参拝客に蕎麦を打って振る舞うサービスを始めました。周囲からは神主が商売をしているなんて言われたりもしましたが、なりふり構っていられませんでしたね、とにかく無我夢中で」

聚長家の生まれではない香織さんは、結婚する前は接客業のお仕事をされていたそうです。その経験を活かして、宿坊の立て直しのために思いつく限りの努力をしたと言います。

「外に出て客引きまでしましたよ。当時はいろいろと目立ってしまいましたが、作務衣を着て客引きしているとお客さんがどんどん入ってらっしゃるんで、手応えを感じました」

「当時は戸隠の宿坊スタッフの服装と言えば普段着にエプロン姿などで、揃いの作務衣を着始めたのはたぶん私達が最初じゃないかと思います」

その他にもユニフォームを取り入れたり、諏訪さんご夫婦の数々の新しい取り組みが認められ、周囲の宿坊でも宿泊客以外に蕎麦を振る舞うサービスの輪が広まったとか。

仲の良いお二人

諏訪さんご夫婦のお話を聞いていると、このお二人は本当に人をもてなすのが好きなのだと伝わってきます。

戸隠に参られた人を見ると放っておけない。

夏の炎天下でバスを待っている人を見ては不憫に思い、軒の庇(ひさし)をのばしてカフェを作る。参拝客に少しでも快適に過ごして欲しい。

「主人がよしずと材木でカフェを手作りしたのですけどね、作りがいい加減で、翌年の大雪で突然ドンガラガッシャーン!って(笑)」

このご夫婦、いろいろな失敗を重ねながら「おもてなし」をしてきたようです。

でも、どうして諏訪さんご夫婦はそこまで頑張るのでしょうか。

「歴史や伝統を守って聚長としての職責を全うするためには、経済的にも独立していかないといけないんです」

この諏訪さんの言葉の理由は聚長家の成り立ちにあります。

戸隠神社の聚長はもともと神仏習合時代の寺院・院坊の住職でした。

それが明治時代初頭の神仏分離で還俗させられ戸隠神社の神官(神主)となって以降、聚長家は時代や制度に翻弄され続けます。

代々神職の家に生まれながら常駐する本務神社を持たず、宿坊の一切の仕事をこなし、講社を管理し、講員の世話をし、また聚長として戸隠神社の運営や神事にも携わる。

講社、聚長というのは特殊な境遇なのです。

戦後間もなくの頃の宝光社月次祭での御神楽奉納。

江戸時代、徳川家康公の手厚い保護を受け、隆盛を極めた戸隠信仰。

戦後間もなくの頃、宝光社の月次祭で奉納される御神楽は、神楽殿が代参の人々で埋め尽くされ、一度では収容しきれず一日に何度も奉納されました。

大正時代の文書には28万人以上の講員に「お判じ」(その年の天候や農作物の作柄を占った)が配布されていたと残されていますが、現在では10万人まで減少したと推定されています。

現在では、観光面からパワースポットブームや御朱印ブームもあり、平安時代、江戸時代に続いて第三の戸隠信仰ブームとなっていますが、同時に講社の衰退が深刻になってきています。

諏訪さんの講社でも世代が変わり高齢化などで講員が減少。

この現状を諏訪さんはどう感じているのでしょうか。

「今まで通りの講社運営では駄目だと思っています」

「私は22歳の若輩で聚長になって、講員さんたちに育ててもらったと思っています。ですから次の世代に恩返しがしたい」

「でも、時代はどんどん変わっていく。新しい時代に合った講社の仕組みが必要だと思っています」

諏訪さんの思い描く新たな講社の仕組みの実現が楽しみです。

そんな諏訪さんも地元での信頼を得て、地元の神社17社の宮司を兼務されています。

聚長としての仕事、宿坊の仕事に加え、兼務社の宮司としての仕事が増えて大変なのではないでしょうか。

「お祭りの日程は重なることが多いので、分刻みで移動します。また、お祭りと宿坊の忙しい時期も重なってしまうので、一日が終わるともう気を失っていますね」

「大変ですが今はとても幸せです。ここまでかなり苦労はしましたが、副業や兼業をせず今までやってこられたのは、本当に皆さんのおかげ、戸隠大神様の御神徳だと思っています」

神仏習合の歴史を持つ戸隠神社にあって、講社はその信仰を広める一翼を担ってきました。今後は、戸隠講の歴史や文化を伝えていくのも大切な仕事だと諏訪さんは考えています。

「例えば、戸隠神社でおみくじを受けるとき、希望者の年齢と男女の別を告げて、神主が祝詞を奏上してからでないとおみくじを受けることが出来ません」

「これはおみくじ発祥の地と言われている比叡山の元三大師堂とほぼ同じです。おみくじ札の内容も比叡山とほとんど同じ」

「こういうストーリーも語り継いでいかなくてはいけないと思うのです」

そして、このような細やかなコミュニケーションが可能なのが聚長と講員の関係だと諏訪さんは言います。

もちろん、今のパワースポットブームに乗じて観光で打ち出せば、宿坊の経営は上向きます。でも、それでは講社の文化、戸隠講の歴史はいずれ忘れ去られていくのではと諏訪さんは危惧しています。

「有り難いことに、いろんなお話を頂くのですが、今は戸隠神社宝光社の聚長として、宿坊の主(あるじ)として、兼務社の宮司として、自分がどこまでやれるのかという限界を見てみたいという気持ちが強いです。」

「全力でやった先に何があるのかは良くわかりませんが、でも、自分の今の役割は講社という文化や宿坊を次の世代に残して伝えていくことなのかなあと、今はそんな風に考えています」

22歳で戸隠に帰ってきて聚長として23年、諏訪さんは聚長の仕事に全力で身を投じてきました。副業や兼業で糊口をしのぐことなく今までやってきたのは、神事に対して真摯に向き合い、お祭りを疎かにしないという信念からです。

そんな諏訪さんの活躍の場は、どんどん広がっていきます。

2018年の12月にフランスのパリで、戸隠神社の太々御神楽(だいだいみかぐら)を奉納するプロジェクトに参加。

戸隠信仰の歴史や文化を広く伝える大役です。

そして今、諏訪さんは新たな挑戦に取り組み始めています。

70年前に焼失した宿坊を蘇らせようという一大プロジェクトです。

消失した宿坊は茅葺きの建築でしたが、戸隠神社の参道にふさわしい神社建築の様式を取り入れ、現在の宿坊を大胆に改築するという計画。

「客室などは過ごしやすく現代的に、外観は神社や寺院様式の意匠で荘厳さを感じてもらえるようにしたいです」

この事業、すでにスタートしています。

「工事は5期に分け、1期目の工事の一部は2018年4月に竣工。宿坊の玄関と受付、図書室を改装して宿泊のお客様や代参の講員の方と触れ合うスペースを拡充します」

「宿坊の神殿で斎行するご祈祷は、神社よりも時間がゆっくり取れるので、参拝者の方と触れ合う時間を大切にして戸隠信仰にもっと親しんで欲しいと考えています」

聚長ならではの発想で、新時代の宿坊を目指している諏訪さん。

この事業を成功させるため、諏訪さんはみなさんからのお力添えをお願いするため、戸隠講をもっとたくさんの方に知っていただくために講社会を設立しました。

「戸隠信仰の歴史や文化をもっと知って欲しい、そのために広く講員を募り、戸隠講を再興させていきたいと考えています」

「また、宿坊の大規模改修についてもご協賛という形でご協力願えればと思っております。夫婦二人でやっている宿坊ですが、安らぎのある心の通う宿を目指してまいります」

「戸隠信仰の文化と歴史を残すため、講社へのご入会、事業へのご協賛を何卒よろしくお願いいたします」

戸隠神社宝光社聚長 諏訪雅彦

神仏習合の時代、住職として始まった聚長家の歴史。

明治の神仏分離で神官となっても戸隠信仰を支え続けてきました。

時代の趨勢に翻弄されながらも、守り続けてきたものは何だったのでしょう。

それは「人」をつなぎ、「人」をもてなす心なのだと感じました。

神主さんは神様と人の仲を取り持つ『なかとりもち』と呼ばれます。

聚長は人と神社を繋ぐもう一つの『なかとりもち』なのかも知れません。

諏訪さんが聚長の仕事にかける情熱、応援したいと思います。

戸隠神社講社への入会、改修事業へのご協賛、歴史を繋ぐ聚長の情熱にぜひご協力をお願い致します。

(2018/3/27 取材 秀島康右)

募集内容

戸隠神社講社会(宝光社聚長諏訪雅彦)
個人講員・・・年会費 一口3,000円
法人講員・・・年会費 一口10,000円

宿坊改修事業協賛会
協賛金:一口10,000円から
事業内容:神殿改修・宿坊改修・参道整備
期間:2018年〜2035年(期間内計5期を予定)
事業規模:1億5千万円(1期あたり約3,000万円)

戸隠神社講社会 個人会員
年会費 3,000円

特典
戸隠神社神札(紙札)・種兆・御神籤・戸隠神社社報

戸隠講の講員のみに下付される「神札」、その年の天候や農作物の作柄を占った「種兆」、おみくじの発祥と言われる戸隠神社の「御神籤」、戸隠神社の社報をお届けします。

※御神籤の下付のためカート内で性別と生年月日をお書添えください。
※申込み翌月に講社会から御礼書が届きます。
※特典は毎年1月3日(講社祭)以降に発送されます。
戸隠神社講社会 法人会員
年会費 10,000円

特典
戸隠神社神札(木札)・種兆・御神籤・戸隠神社社報

戸隠神社の社運隆昌「神札」(掛け紙に御社名を名入れ)、その年の天候や農作物の作柄を占った「種兆」、おみくじの発祥と言われる戸隠神社の「御神籤」、戸隠神社の社報をお届けします。

※木札の掛け紙に御社名を名入れするためカート内で法人名をお書添えください。
※御神籤の下付のためカート内で性別と生年月日をお書添えください。
※申込み翌月に講社会から御礼書が届きます。
※特典は毎年1月3日(講社祭)以降に発送されます。
戸隠神社講社 事業協賛会(法人・個人)
一口 10,000円

特典
申込み翌月に講社会から御礼書が届きます。
芳名録に記載し永久に保存いたします。

3口(3万円)以上の申込みいただいた方の御芳名は宿坊施設内の掲示板に記入し顕彰いたします。

※一口以上何口でもご協賛いただけます。
戸隠神社講社会 個人会員
年会費 3,000円

特典
戸隠神社神札(紙札)・種兆・御神籤・戸隠神社社報

戸隠講の講員のみに下付される「神札」、その年の天候や農作物の作柄を占った「種兆」、おみくじの発祥と言われる戸隠神社の「御神籤」、戸隠神社の社報をお届けします。

※御神籤の下付のためカート内で性別と生年月日をお書添えください。
※申込み翌月に講社会から御礼書が届きます。
※特典は毎年1月3日(講社祭)以降に発送されます。
戸隠神社講社会 法人会員
年会費 10,000円

特典
戸隠神社神札(木札)・種兆・御神籤・戸隠神社社報

戸隠神社の社運隆昌「神札」(掛け紙に御社名を名入れ)、その年の天候や農作物の作柄を占った「種兆」、おみくじの発祥と言われる戸隠神社の「御神籤」、戸隠神社の社報をお届けします。

※木札の掛け紙に御社名を名入れするためカート内で法人名をお書添えください。
※御神籤の下付のためカート内で性別と生年月日をお書添えください。
※申込み翌月に講社会から御礼書が届きます。
※特典は毎年1月3日(講社祭)以降に発送されます。
戸隠神社講社 事業協賛会(法人・個人)
一口 10,000円

特典
申込み翌月に講社会から御礼書が届きます。
芳名録に記載し永久に保存いたします。

3口(3万円)以上の申込みいただいた方の御芳名は宿坊施設内の掲示板に記入し顕彰いたします。

※一口以上何口でもご協賛いただけます。

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